研究者メンバーの発言
<「ヒューマン・スキル」と「コンセプチュアル・スキル」は重要でないのか?>
<「ヒューマン・スキル」と「コンセプチュアル・スキル」は重要でないのか?>
濱口桂一郎『スキルとデキル 「能力」から見る近現代労働史』(角川新書、2026)は好著ですが、気になる記述があるので、その点に関して書かせていただきます。
同書の132頁から133頁と178頁で、日経連の報告書の記述に言及した箇所です。前者と後者の指摘は基本的に同じなので前者を取り上げます。132頁では、日経連の『新職能資格制度』(1980)が取り上げているテクニカル・スキル、ヒューマン・スキル、コンセプチュアル・スキルの3つに言及し、「後者二者はスキルと名がついているものの、具体的な職務ごとに定義されている技能とはほとんど関係のない一般的抽象的な「能力」にすぎません」とし、両者を「デキル」に分類しています。
能力を「スキル」と「デキル」の2つのカテゴリーで論じる著者の枠組み自体を否定するものではありません。また、著者の分類は能力の性質に関するもので、その重要性を論じたものではないと理解しています。ただ、こうしたヒューマン・スキルとコンセプチュアル・スキルに対する著者の位置づけが、読み手によっては両者の重要性を軽視する議論につながりかねないことを危惧しています。
この3つのスキルは、アメリカの経営学者ロバート・カッツ(Robert L. Katz)が1955年に提唱した「カッツ・モデル」を援用したものだと思われます(日経連の『新職能資格制度』をもっているのですが、見つからずこの点は未確認です)。カッツは、管理職に求められる能力をこの3つのスキルに分類しています(Robert L. Katz(1955)"Skills of an Effective Administrator"、Harvard Business Review、Vol. 33, No. 1, pp. 33–42)。
テクニカル・スキル(Technical Skill)は、特定の業務や作業を適切に遂行するために必要な専門知識、技術、手順、分析力などです。他方、ヒューマン・スキル(Human Skill)は、他者と良好な関係を築き、チームとして効果的に協働・動機付けを行うための「対人能力」で、コンセプチュアル・スキル(Conceptual Skill)は、組織全体を俯瞰し、複雑な状況や事象の本質を捉えて、中長期的なビジョンや戦略を立案・判断する能力です。後者の2つのスキルは、特定の業務とは直接結びつきませんが、管理職には不可欠な能力なのです。
カッツは、役職の階層が上がるにつれて、求められるスキルの比重が変化することを指摘している点が重要です。とりわけ昇進するにしたがって、テクニカル・スキルの比重が相対的に下がり、他方でコンセプチュアル・スキルの重要性が高まるとしています。なお、後者の2つを「スキル」としているのは、英語のskillは、訓練・練習によって後天的に身につけた具体的な能力を意味するからです。つまり、両者は獲得できる能力なのです。この点で、両スキルは、「人柄」や「潜在能力」としての「デキル」とは性質が異なります。両者を「デキル」の側に分類すると、本来は育成し評価できるはずの能力が、測りにくい人物評価に引き戻されてしまうおそれがあります。
また、カッツは1974年に同論文が「HBRクラシック」として再掲された際に回顧的なコメントを加え、いくつかの点に関して補足しています(Robert L. Katz(1974)"Skills of an Effective Administrator"、Harvard Business Review、Vol. 52, No. 5, pp. 90–102)。第1に、ヒューマン・スキルを、「自らの部門内で部下と協働する能力」と、「他部門との関係など集団間の調整を担う能力」とに分け、前者は下位の管理職で、後者は上位の管理職でより重要になるとしています。これは、階層によって求められるヒューマン・スキルの中身が変わることを意味します。第2に、コンセプチュアル・スキルについては、成人後に職場で育成するのは容易ではなく、若い時期からの経験を通じて形成される面が大きいのではないかと留保しています。ただし、これはコンセプチュアル・スキルが生得的な資質だという意味ではなく、その獲得には長い時間と計画的な学習の機会が必要だということです。この点は、後述するように、日本の管理職がコンセプチュアル・スキルを体系的に学ぶ機会をいかに確保するかという課題の重要性を高めるものです。
私がこの2つのスキルを重視するのは、日本の管理職がヒューマン・スキルとコンセプチュアル・スキルをどのように獲得しているかが、いま問われているからです。管理職の特徴は、「部下の働きを通じて自己に課せられた課題を実現する」ことにあります(「他者依存性」)。そのため、管理職にはヒューマン・スキルが大事になります。とりわけ課長レベルの管理職を取り上げると、最近では多様な部下のマネジメントが必要になり、過去の課長と比べてより高度なヒューマン・スキルが求められています。他方、日本の企業では、課長昇進の基準に占めるテクニカル・スキルの比重が大きいのが実情です。このことが、管理職による部下へのハラスメントなどが生じる一因となっている可能性が高いのです。さらに、課長もそうですが、部長以上の管理職では、コンセプチュアル・スキルの重要性がより大きくなっています。不確実な市場環境の下で、全体最適な意思決定を下すために不可欠なスキルであることが背景にあります。
しかし、こうした重要性にもかかわらず、日本のホワイトカラー、特に管理職はコンセプチュアル・スキルを体系的に学ぶ機会に乏しいのが現状です。その背景の一つとして、こうした能力を体系的に学ぶ場である大学院教育を受けた管理職が少ないことがあります。日本の管理職の学歴は大卒が中心で、修士以上の学歴者は少数です。他方、我々が実施した大卒以上の学歴を有するホワイトカラーに関する国際比較調査(佐藤・武石編『ホワイトカラーの働き方・暮らし方:国際比較からみた日本の課題』東京大学出版会、2026)によると、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどでは修士以上の学歴を有する者の比率が、日本に比較して高くなっています。この課題を解決する方策の一つは、専門職大学院で学ぶ社会人を増やすことですが、残念ながら入学者はそれほど増えていません。
以上が、ヒューマン・スキルとコンセプチュアル・スキルの重要性を主張したい私の感想です。